2019.2.3(日) 最終更新日2019.2.3 21:02
世界は今日もやさしくあたたかい
ホールの誕生日ケーキにろうそくを立ててもらい頑張ってフーッと火を消した時、みんながパチパチと拍手しておめでとうと言ってくれた。黒い大きなカメラで写真を撮ってもらった。小さな団地の茶の間に両親と親戚のおじさん、おばさん、いとこたちがたくさん来てくれてて、ぎゅうぎゅうになりながら食べたごちそうたち。お気に入りの黄色のセーターを着て嬉しそうに笑ってるおかっぱ頭の子供の頃の私の写真が何処かにあるはず。
5歳くらいだったろうか。世界が自分中心にピカピカひかってるみたいなとっても楽しいいちにちの事をぼんやり覚えてる。
子供の頃の誕生日ってやっぱり特別だった。みんなが笑ってて楽しかった。たくさんの人がおめでとうを直接言ってくれた。
少しだけ大人になって中学に入ると仲良しグループと一緒にいる時間が増えていった。ノートに書いたおめでとうのメッセージを女子達は器用に折り紙方式で小さくたたんでプレゼントしてくれた。開いてみるとその頃大流行りだった丸文字でTO しのぶ から始まるお手紙がびっしり書かれてあった。私もノートをちぎってお返事を書いて彼女たちの折り方をなんとか真似して次の日学校で渡した。
高校生になると私達はバイトして多少のお金を持てていた。好きな男子に買える範囲でプレゼントを買ってドキドキしながら渡したりもした。その逆もあった。手紙だけじゃなく何かしらのプレゼントをいただくこともあった。それでもその当時まだ手紙はなくならなかった。あのへんてこりんな折り方の手紙は健在だった。授業中に先生に見つからないように回した手紙はあの折り方だった。
それからさらに大人になりしっかり成人し、わたしはポケベルの記憶があまりなくていきなりガラケー時代に突入した。メールという画期的なコミュニケーションツールを手に入れた。
時間を気にせずメッセージが送れる。直接会わなくても。離れてても。言葉では言えないような感情も絵文字が補完してくれた。
インターネットも登場していてチャットや掲示板なども幅を利かせていた。
遠くに住む友人とも会話ができた。メールの中で。
そしてその後の展開は誰もがご存知の通りスマホの登場で何もかもが新しくなった。メールは無くなっていないけどSNSが生まれた。フェイスブックが登場した。LINEでスタンプを送り合うようになった。友人からあの頃のような再現不可能なほど複雑に折りたたんだ手紙をもらうことも、自分が書くこともなくなったけど、それに代わるコミュニケーションツールがたくさん増えた。
近くに住む友人ともLINEで会話する。フェイスブックの投稿で近況を知る。なかなか会えない距離にいる友人達が夜どこで誰と何食べたとか、子供が名前を書けるようになったとか、出張で新幹線に乗り富士山が見えたとか見えなかったとかまで離れていても知っている。
今日で45歳になった。人生折り返し地点くらいまでいつのまにか来ていたけど、こんなに世界は良くなっている。いつのまにか。確実に。
黄色いセーターを着てろうそくの火を消していたあの頃の写真は見当たらないけど、今日頂いたおめでとうのメッセージはずっと消えずに残ってる。直接会ってコトバを交わせなくても、会える距離だろうとそうじゃなかろうと、近くにいても離れていても、その人のためにあたたかなコトバを送りあえる今の時代に激しく感謝。
2019年の誕生日、あらためてありがとうございます。
ろうそくの火を消したあの日と変わらず世界は今日もあたたかくやさしい。