2016.9.28(水) 最終更新日2018.1.13 13:56
家電で得られるものは便利さだけではないかもしれない
KEISUKEOKUNOYAの赤いエプロンがお気に入りです。
アナタの暮らしを明るく!でんきや忍です。こんにちは。
昨日は久しぶりにお客様のおうちにおじゃまさせてもらいました。
・・・というほどのおおげさなものではありません。ハンドブレンダーの使い方をお伝えしただけです。
社長から相談を受け一緒に訪問しました。だんなさんのお食事に関して試行錯誤中の奥様です。より柔らかいモノ喉ごしのよいものを作りたいのでミキサーをという相談だったようです。一人分をつくるならこちらのハンドブレンダーが良いと判断し、小さな鍋の中で玉ねぎ、じゃがいも、をかくはんして豆乳入りのジャガイモのポタージュを作りました。
旦那様は美味しいと言って食べてくださいました。
それぞれのご家庭の事情はさまざま。こんなものが作りたいからこういうのが欲しい。そういったご要望に対して家電ができることはたくさんあります。今の日本の製品で出来ないことの方が少ないと思います。
だけどそれを使う人はいろいろ。どんな思いで使うのかも色々。そのまわりの家族の思いもいろいろ。
家電製品はメーカーから発売されて販売店に回ってきてそこから消費者のもとへ届いて、その先はどんな使われ方がされていてそれによってどんな物語になっているのかもさまざまです。
その家電によってなにか問題が解消されればそれに越したことはない。でも、たとえその家電を買ったからと言って最初の問題が解消されなくとも、買ったことによる気持ちの変化というのはあると思います。話が具体的ではなくて全く何言ってるのかわからないと思いますが、「買っただけでも満足」「それを買って何かしてみたという行為だけで満足」そういったことも世の中にはあふれているのではないか、そんな風に思うんです。
何もしなかったという後悔が残るくらいなら、それを買ってみたという事実だけでも欲しい、そんなことってあるはず。
そんなことを昨日の訪問でさらに思ったんですね。
私の前職は看護師です。緩和ケアチームにいたとき終末期の患者さんを主に担当していました。患者さんだけでなくその家族の方へのケアもとても大事です。残される家族の方が「自分たちにもやれることはやった」という満足感が残るようになるべく一緒にケアに入ってもらったり、それこそ亡くなられた時に家族のみなさんで体を拭いたりシャワーを浴びさせてあげたりお化粧したりそんなこともしていました。それがあるのとないのとでは家族の方達のその後の気持ちがかなり違うんですね。
できることはやった、自分たちも頑張った、という気持ちを持ってもらうことって残されたものにとってはとても大事なんじゃないかと思います。自己満足だろうとなんだろうとそれでもいいって思います。
看護師として働いていたときのいろんな感情がよみがえってきた、そんな訪問でした。
(今回の訪問先のお客様ご夫婦はとてもお元気ですので今話した事例とは関係ありません。ご了承くださいませ)